2017年10月15日(日)「死んでも生きる 死とは何か?」

☆10月15日(日) 11:00~12:15 

☆招詞 コリントの信徒への手紙一 15:55~57

☆聖書箇所 ヨブ記 9:14〜24、10:18~22

☆宣教 森 淳一牧師 「死んでも生きる 死とは何か?」

9:14 わたしのようなものがどうして神に答え
神に対して言うべき言葉を選び出せよう。

9:15 わたしの方が正しくても、答えることはできず
わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。

9:16 しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。

9:17 神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ
理由もなくわたしに傷を加えられる。

9:18 息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。

9:19 力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても
証人となってくれるものはいない。

9:20 わたしが正しいと主張しているのに
口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる。

9:21 無垢かどうかすら、もうわたしは知らない。生きていたくない。

9:22 だからわたしは言う、同じことなのだ、と
神は無垢な者も逆らう者も
同じように滅ぼし尽くされる、と。

9:23 罪もないのに、突然、鞭打たれ
殺される人の絶望を神は嘲笑う。

9:24 この地は神に逆らう者の手にゆだねられている。神がその裁判官の顔を覆われたのだ。ちがうというなら、誰がそうしたのか。

10:18 なぜ、わたしを母の胎から引き出したのですか。わたしなど、だれの目にも止まらぬうちに
死んでしまえばよかったものを。

10:19 あたかも存在しなかったかのように
母の胎から墓へと運ばれていればよかったのに。

10:20 わたしの人生など何ほどのこともないのです。わたしから離れ去り、立ち直らせてください。

10:21 二度と帰って来られない暗黒の死の闇の国に
わたしが行ってしまう前に。

10:22 その国の暗さは全くの闇で
死の闇に閉ざされ、秩序はなく
闇がその光となるほどなのだ。」

(新共同訳)