2017年5月7日(日)「罪に気づく 救いに気づく」

☆5月7日(日) 11:00~12:15

☆招詞 マタイによる福音書 7:7~8

☆宣教 森 淳一牧師 「罪に気づく 救いに気づく」

☆聖書箇所 ローマの信徒への手紙 7:7~25 

7:7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうでない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。

7:8 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。

7:9 わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、

7:10 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。

7:11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

7:12 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。

7:13 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。

7:14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。

7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。

7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。

7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。

7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。

7:22「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、

7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
 
(新共同訳)