2020年5月31日 宣教題「ペンテコステ 心をゆさぶる激しい風」

5月31日メッセージ

聖書:使徒言行録10章1~16節

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それぞれの場所で礼拝をささげておられる皆さん、おはようございます。

 今朝も聖書の言葉にこころを留めるひとときを、ご一緒に過したいと思います。

 さて、作家の高橋源一郎さんが、お隣の国・韓国を訪ねた旅の話しから、今日の宣教を始めたいと思います。それは、朝日新聞に掲載された記事です(「高橋源一郎の 歩きながら、考える」2019.12.19付)。今日の宣教の準備をしながら、その記事のことが思い浮かびましたので、ご紹介したいと思います。新型コロナウイルスのこともあって、少し忘れられた感もありますが、日本と、そして、お隣の国・韓国との関係…、「歴史」に向き合うということの大切さを思わされます。

 高橋源一郎さんは、はじめに、戦後を代表する詩人・茨木のり子さんの代表作「自分の感受性くらい」という詩の一節を取り上げます。「駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」。高橋さんは「とてもいい詩です。そして胸に手をあてて考えたくなります」、そうおっしゃって、それから、茨木のり子さんの、お隣の国・韓国を巡っての話しを紹介されました。茨木さんは、50歳になって突然、韓国語を学び始めます。すると、彼女の周りの人たちが異口同音に「また、どうして?」と、訝しげに尋ねるのです。茨木さんは、そこに流れる思いとして、日本の国が明治時代以降、東洋は切り捨て西洋に目を向けてきたことに関係があると嘆きつつ、自分が韓国語を学び始めた理由を挙げてゆき、最後に次のように語ったそうです。「隣の国のことばですもの」…。茨木さんは、同年代の韓国の女性詩人に会って、「日本語がお上手ですね」と、その流暢さに感嘆すると、その韓国の女性詩人は次のように答えました。「学生時代はずっと日本語教育されましたもの」…。植民地時代、日本語教育を強いられたその韓国の女性詩人は、戦後になって改めて自分の母国語を学び直した世代でした。茨木のり子さんは、自分の無知に身をよじったと言います。「いちばん近い国なのに、本当は何も知らない。知らないことさえ知らなかったのだ…」。

 高橋源一郎さんは、韓国の旅で、ソウル市内の日本大使館に向けて設置された「平和の少女像」を見に行かれました。「慰安婦像」として知られていますが、正式な名称は「平和の少女像」とのことです。その像を巡っても、日本政府と韓国政府は対立しました。なぜ、その像は、両国の間に亀裂を生んだのか?…。高橋さんの言葉です。「それを知りたくて、わたしは出かけた。行けば少しは分かるのではないかと思った。いろんなことが…。何より、自分が何を知らないかを…」。高橋さんが「平和の少女像」を訪ねたとき、冷たい雨が降っていました。「少女像」には、レインコートが着せられ、毛で編まれた靴下が履かせられていたそうです。その靴下は、ある日本人によって、現場で編まれたもの、とのことでした。高橋さんは、像の傍らに立ち、少女の視線が指す方向を見つめながら、思いを巡らせました。韓国には、日本にはない「民衆美術」の分厚い歴史があります。「民衆美術」とは、自分の国の軍事独裁政権に対して「美術」を武器にして戦ってきた韓国の歴史だそうです。自国の軍隊や政府と戦いながら歴史をつくってきた韓国の人たちは、美術作品に強い政治的メッセージを載せることを拒みません。それは今の日本には希薄なものでしょうか?…。「平和の少女像」は、慰安婦たちの「奪われた少女時代」を象徴しているとのことでした。高橋さんの言葉です。「その『像』は、もっと別な何かを象徴しているようにも見えた。それが、何なのか、私にはうまく言うことができない。そこに置かれているのは、どんな『ことば』でも載せることができる、ただの硬い金属製の彫刻だからだ…」。

 高橋源一郎さんの旅の話しは、もう少し続きます。「少女像」を見に行く前日、高橋さんは済州島(チェジュ島)でも1つの像を見に行かれたそうです。それは「ベトナム人の母子の像」と呼ばれています。その像は済州島の南、カンジュン村の聖フランシスコ平和センターの敷地の隅に、ひっそりと置かれているそうです。「ベトナム人の母子の像」は、ベトナム戦争で韓国軍のベトナム民間人虐殺を記憶し、犠牲者を追悼するために作られたものとのことでした。愛おしむように赤ん坊に頬を寄せる母親の周りを、土地の花と水牛が囲んでいます。ベトナムの素朴な風景です。韓国の済州島に置かれた母子の像は、自国の加害責任を問いかける像で、作者は、あのソウルの日本大使館の前の少女像と同じ、キム・ソギョンさん、キム・ウンソンさん、ご夫妻とのことでした。この母子像の設置には、かなりの苦労があったようです。キムさんご夫妻は像の設置を求めて、最後の最後に済州島にたどり着きました。ソウルに置かれた「平和の少女像」とは異なり、自国の歴史的加害責任を問う像を喜んで受け入れてくれる場所を見つけることは難しかったのです。

 高橋源一郎さんの言葉です。「『平和の少女像』、『ベトナム人の母子の像』…、ふたつの像は、同じ作者(たち)の手で作られた。片方は、植民地支配と戦争の犠牲者に、もう片方は、戦争や軍隊の直接的な犠牲者に、それぞれ寄り添って…。どちらも、おそらくは同じ目的で、つまり、国家や権力という強いものに蹂躙される弱き存在の側に立つことを目指して作られた。けれども、ふたつの像は切り離され、片方を支持するものの多くは、もう片方を見ないようにしたのである。このことの意味も考えたい、と私は思った。…(中略)…、ふたつの像が『弱き者たち』を象徴しているのだとしたら、それは韓国の人たちにとって、支配され、ことばも奪われた植民地時代の自分たちの肖像にも繋がるのだろう。では、私たち(日本人)は、『弱き者たち』をどのように見ているのだろう。いま、私たちの社会は、声を上げる『弱き者たち』を疎ましく思ってはいないだろうか。ただ佇むだけの『像』たちは、ことばを持たない。だが、そのことによって、私たちから、ことばを引き出す力を持っている…」。

 今日の宣教の始めに、高橋源一郎さんの韓国を訪ねる旅のことを紹介しましたのは、「ゆさぶられる」ということの大切さを感じたからです。つまり、この「ゆさぶられる」ということ…、それは、今日、教会の暦では「ペンテコステ」…、聖霊降臨日…。このペンテコステの出来事が「ゆさぶられる」こと…、そのような“出来事”であると、最近、私は、新しく学んだからでもありました。毎週の礼拝では「招きの言葉」を読んでいただいています。今日の「招きの言葉」は、ペンテコステの出来事として知られている箇所…、「使徒言行録」2章1~3節です。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。5月は家庭礼拝というかたちでしたが、「使徒言行録」をご一緒に読みました。今のペンテコステの出来事を書き記した2章の物語も取り上げました。私は、そのときの宣教の中で「言葉(言語)」ということに注目して、その人、一人ひとりを人間として育み成長させる「言葉」が大切にされる物語を…、ペンテコステの物語を…、心に留めました。

 もちろん、それも、ペンテコステのメッセージの1つでしょう。しかし、聖書には決まりきったメッセージがあるのではありません。ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。新しいプログラムが始まりました『聖書教育』誌には、ペンテコステのメッセージが載せられていて、連盟宣教部の松藤先生が同じ「使徒言行録」2章1節からの物語のメッセージを次のように書いておられました。「ペンテコステの出来事は、『突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた』ことから始まっています。この箇所には『…のような』という表現が繰り返し記されていることから、実際にどのような出来事が起こったのか定かではありません。けれども、突然、激しい風(のような音)が、天から、そして家中に響きわたったというのですから、その場に居た人たちにとっては、恐怖を感じるような出来事であったに違いありません。さらに、この激しい風が、外だけでなく、家の中にまで入ってきたという表現が示そうとしているのは、聖霊の働きは、私たちの内側をかき乱し、整然としていることさえできないようなものであることの暗示であるように思えます。つまり、聖霊がもたらす関係性とは、それが神との関係であれ、人との関係であれ、それまで自分が積み重ねてきた“安定”の上に、爽やかに、新しいものがそっと添えられるようなものではなく、実はむしろ、そうしたものが激しくかき乱され、垣根を取り壊しながら迫ってくるものなのでしょう。しかし、それ故にこそ、私たちは本当の意味で、自らを開かせられ、新しく豊かな関係・交わりへと導かれる経験をすることができるのではないでしょうか」。

 先ほどは、「使徒言行録」10章1節からの物語を読んでいただきました。エルサレムから始まったキリストの教会の働きは、次第に地中海の広い世界にひろがっていきました。けれども、それは、何の障害もない平坦な道をゆくようなものではなく、幾つもの「壁」を崩しながら次第にひろがっていった様子が「使徒言行録」を読むと分かるのです。今日の10章の物語は、まさに、私たち人間の内側にある「心の壁」のようなものを“ゆさぶられ”、聖霊の働きにおいて、神と人、人と人との関係が繋がれていく物語でしょう。

 「使徒言行録」の物語の流れを少し押さえておきますと…、先週、取り上げました、エルサレムの教会に対する大迫害が起こった後、散らされていった人たちによってイエスさまの福音が語られ、8章ではエチオピアの高官が、9章ではユダヤ人の使徒パウロことサウロが、イエスさまを信じてバプテスマを受けていく様子が記されています。そして、今日の10章では、ローマ人コルネリウスがバプテスマを受けます。「イエス」は、まさに、すべての人にとっての「キリスト(救い主)」です。その神さまの働きに、ペトロが招かれていきます。ペトロは、ヤッファの町で幻を見せられ、彼の心の内にあった「壁」が次第に崩されていくのです。その幻の話しは10章9節以降に出てきますが、ペトロがその幻を見る前に、すでに「壁」が崩されていくような出来事が生じていたようです。それは、ペトロに、そして、ペトロに出会っていくコルネリウスにも、そうでした。10章1節と2節には、次の言葉がありました。「さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」。コルネリウスは、カイサリアに住むローマの軍人で、百人隊長です。彼は「信仰心あつく」「すべてのユダヤ人に評判の良い人」(10:22)と聖書にあるように、自分の同胞だけでなく、ユダヤ人のために祈りや施しをしていた様子も伝えられています。一方、ペトロも、10章5節と6節に、そのことが書かれていましたが「革なめし職人シモンという人の客になっている」とありました。「革なめし」…、獣の血を扱う革なめしという職業は、当時のユダヤ人の間では蔑まれていた職業でした。しかし、ペトロは、その家の客人になっています。この後、ペトロは幻を見ますが、その前から、ペトロに、そして、コルネリウスに、国や民族を隔てる「壁」が乗り越えられようとしている…、そうした動きが起こされていることにも心を向けたいと思います。

 そこで、10章9節に入っていきます。9節から「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るために屋上に上がった。昼の12時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に降りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた」。ペトロさん、お腹が空いていたのでしょうね…。あまりの空腹に少しフラついていたのかもしれません。そんなとき、ペトロは幻を見せられたのです。あらゆる獣が入った大きな布のような入れ物が地上に降りて来る…、ペトロは驚いたことでしょう。そして、次のやり取りです。13節から「そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません』。すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』。こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた」。私たちには、少しピンと来ないところがあるでしょう。ユダヤ人には、「汚れた食べ物」と「清い食べ物」とが律法において厳しく分けられていました(レビ記11章)。ユダヤ人であるペトロには、決して口にしない「汚れたもの」と言われるものがあったのです。ところが、まさに、この物語において、そのような区別が…、壁が…、神さまによって崩される。心の垣根が崩されていったペトロは、この後、異邦人コルネリウスに福音を語り、コルネリウスはバプテスマを受け、信仰者になっていきました。

 私は、今日の物語を読みながら、神さまは、まさに、ペトロに対して、そうでしたけれども、同じように、私たちに対しても、私たちの心の内にある「壁」のようなものを…、人と人とを隔ててく「垣根」のようなものを…、崩していくために“ゆさぶり”…、それは、まさに、ペンテコステの出来事と同じ…、“安定”の上に、爽やかに、新しいものがそっと添えられるようなことではなく、激しく“ゆさぶられる”からこそ、新しく豊かな関係・交わりへと導かれていくと感じるのです。

 この宣教のはじめに、高橋源一郎さんの、お隣の国・韓国への旅の話しを紹介しました。日本大使館の前に置かれた「平和の少女像」を見るとき、高橋源一郎さんが幾つものことを考えたように、それぞれに何をお考えになられるでしょうか。そして、高橋さんが語っておられたように、その「少女像」が、何の言葉も発せず、ただ佇むだけの「像」であるから、かえって、その「像」と向き合う私たちから、何か言葉を引き出すのかもしれません。それは、言い方を変えれば、“ゆさぶられる”こと…、“かき乱される”こと…、そういうことでも、あるのではないでしょうか?…。そうであるから、逆に、私たちは、その「像」と向き合いたくない。その「像」を遠ざけ、目につかないところへ追いやり、あわよくば、その「像」を亡き者にしたいとさえ思っているのかもしれません。昨年、愛知県で、その「像」の展示をしようとしたとき、そこに大きな混乱が起こりました。それは、その「像」の存在が、私たちを“ゆさぶり”、私たちを“かき乱す”からではないでしょうか。そして、そうした問題は、何も日本人だけの問題ではないのです。それは、すべての人の問題なのです。高橋さんの韓国の旅の報告で、「少女像」とは別に、韓国の済州島には「ベトナム人の母子の像」があり、それは、ベトナム戦争で韓国軍はアメリカ軍と共にベトナムと戦争し…、しかし、そこに、韓国の人たちができれば向き合いたくないような加害の歴史があるのでしょう。その「像」を見るとき、“ゆさぶられる”ことが、“かき乱される”ことが“あるのだ”と思います。だから、ソウルの街の中心に、その「像」は置かれない…。人間には、できないのです。この世の思い…、この世の価値観…、人間の業や力…、そういうものでは起きないことではないでしょうか?…。

 そうであるからこそ、ペンテコステ…、神さまの霊の働きに導かれる。ペトロだって、簡単なことではなかったのです。何度も“ゆさぶられて”導かれていった世界があったのです。ペトロだけでなく、コルネリウスもそうでしょう。彼が、ゆさぶられ、崩されていった「壁」があったのだと思います。自分を崩されていくことは、ある意味「痛み」も伴います。けれども、「自分」というものが崩されることがなければ、私たちはそれこそ「自分」を「神」にさえしてく存在なのではないでしょうか?…。まことの人とされて生きるために、「自分」が“ゆさぶられる”ことを大切にしたいと思います。そして、自分の内側にある「壁」を崩されて、神と人、人と人とが共に生きる者とされたいと思います。

<祈り>

 愛する神さま、今日、それぞれの場所での礼拝を感謝します。あなたの霊の働きを思います。聖書によれば、すべて人は、あなたの命の息吹をいただいて、人として造られました。日々、あなたの息吹を受けなければ、私たちはまことに人として新しく造られないでしょう。「自分」が「神」のように生きることがあります。「自分」が人としての価値を持っていないと感じることもあります。自分を他者と比較し、妬んだり、見下げたりする「自分」です。あなたが送ってくださる聖霊の風が、私たちをゆさぶり、そうした「自分」を崩されて、まことの人として日々新しく造られていきますように。神と人、人と人とが共に生きることを喜ぶ者としてください。

 このお祈りを、主イエス・キリストの名前で御前にささげます。アーメン。

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*牧師より高崎教会の皆さまへ

 今日、主の日の日曜日、それぞれの場所での礼拝が豊かに祝福されますように。

 今日、5月31日は、教会の暦でペンテコステ(聖霊降臨日)です。人の力や業ではなく、聖霊の働きによって教会がつくられていることを覚えたいと思います。皆さんと集うかたちでの主日礼拝を、今日まで休止しました。しかし、このようなとき、普段あまり考えないようなことにも思いを巡らせました。皆さんは、どのようなことをお感じになられたでしょうか? 私は、今日の宣教に即して言うならば、私たちの日常生活に礼拝を欠くとき、やはり、そこに大切な“何か”が失われていくことを感じました。その“何か”とは、たとえば、神の霊の働きです。「自分」というものをゆさぶられて、神と人、人と人とが共に生きることを妨げるような「私の内なる壁」があるならば(あるのです)、その壁をゆさぶる神の霊の働きがあることを祈りたいと思います。

 礼拝から遣わされる新しい1週の歩みが守られますように。

では、6月7日(日)、教会でお会いしましょう。